花の美術館とは

植物を見て、愛でてみませんか?

人間が生きていくために必要なものとして、衣食住も確かにそうですが全ての生命活動において何より重要視しなければならないものがある。それは酸素だ、空気があってこそこの地球という惑星そのものが生物が生存できる環境を形成していること、そしてその酸素を生成する役割に一役買っているのが、何を隠すわけでもない植物だ。植物といっても木に草をはじめ、更に花なども含まれている。すべてが全て二酸化炭素を吸収して、酸素を排出するわけではない。花については蜜は蜂や蝶などの虫たちにおいて重要な命の糧となり、彼らのそうした生存活動を引き換えにして、虫達に花は花粉を飛ばしてもらって、受粉して自分達の新たな子孫を残していく。簡単に構図だけ見てみると、植物のしていることも人間の生命活動と何ら変わることはない。姿かたちこそ人間とは程遠いが、共に生きていることに変わりはない。ただ我々からすれば会話が成立する、もしくは頻繁に行動している存在でなければ生き物として認識していない、そんな風に思っている人は少なくないと思う。特に子供の頃は植物が持つライフサイクルについて無知だ、筆者も子供の頃は植物が生きているといわれても正直ピンと来たわけではない。まぁ小学校に上がりたての子供がそこまでの悟りを開いていたら、ある意味天才と称するに申し分ない才覚を秘めているので、基本ないと見て良いだろう。だからこそ教えなければならないのが、先に人間として生きているものの務めでもある。

ただ日本にしても、世界各国にしても、自然界を蔑ろにして人間の利己的な行動を追及していた時代がある。この国を例にしてあげてみると昭和中期から後期にかけての高度経済成長期、この時期において人は自然をこれでもかと淘汰していった。現代でもそうした活動を率先して行う人は残念ながらいるが、自分達のしている事が間違っていたと気付いたときには、この国をかつて覆っていた森林の半数が滅亡したといえる。純粋な自然の中で育った樹木の数は少なく、後は人間が植林を行うことで何とか形を取り戻すことに成功した、人口森林が大半を占めている。

今更過去の過ちをどうこういうつもりはない、もはやこうなってしまった結果として語っているだけであの時こうしていれば、などと不毛な論争を繰り広げるつもりはない。今やるべき事はいかにして人間が生きていく環境を形成している植物の保護をどのようにして行くべきか、その点だ。ただ無くなったものは元には戻らない、それはどの世界においても共通していることで、0から1を生成するだけの万能さは人間にはない。一度失われた生物の種子は二度と復元することはない、日本で言うなら日本狼のような例もあるが、それが植物ともなれば無秩序に乱立するだけで全く計画性の無いまま建築していったビル郡と引き換えに、どれ程の植物が失われたのかは見当も付かない。

当然このままではダメだとして立ち上がった人もいる。それが植物を研究する人々で、ある一帯を囲みつつその中で人工的に栽培して日々研究を重ねて植物の持つあらゆる可能性を引き出そうとしている研究機関は沢山ある。我々の生活においても植物の成分を用いた製品を良く耳にするが、そうした営みはこうしたところで日々研究されながら、見たこともないような植物が咲き乱れている『植物園』について話をしよう。呼んでいる人の中には何かしらの学校行事で訪れたこともあると思う、千葉県にある旧称『千葉市 花の美術館』、改称『三陽メディアフラワーミュージアム』を主題としていこう。

緑化活動の一環として誕生

まず簡単に施設についての概要だが、現在の三陽メディアフラワーミュージアムは元々千葉県の緑化活動の一環として建設された植物園となっている。日本は高度経済期、そしてバブル経済を伴った急激な進歩を遂げて東洋の奇跡などと呼ばれるだけの先進国としての地位を確固たる物として進化する事はで来たが、その分だけ本来日本に根付いていた森林を始めとした植物達を蹂躙し、結果として地盤の歪を始めとしたあらゆる環境問題を引き起こしてしまうなど、科学だけに特化した進歩によってもたらされた功罪をものの見事にここ数十年で表現していった。

気付いたときにはアレだけあった植物がこれっぽちになってしまったといっても後の祭り、かつてこの国の大半を覆っていたはずの植物は跡形も無く消滅し、大半が自然林としてまともな形を形成できないままその存在にピリオドを打つことになった。また森林の減少によって二酸化炭素が充満し、世界各地で温暖化を顕著に引き起こしてしまうなどの問題も出てきたため、各国では急ぎ対策として出来る限り自然界との共存を可能とする対策を講じるようになる。この三陽メディアフラワーミュージアムもまた、そうした自然が少なくなってしまった事を危惧した千葉市が、保護活動を行なう手段としての施設でもある。

そもそも人間が自然よりも上位に位置していると思っていることが甚だしいと筆者は見ているが、今はそれは良いとしよう。自分達のしてきた事がいかに間違っていたのかというのを少なからず理解した結果としてこうした植物園が出来ている、というのは紛れもない事実なので一先ず良しとする。そうした中で何とか後世に伝えていけるだけの自然を残せるようにと当時は花の美術館として呼ばれていたこの植物園も、活動は積極的に行われていた。

とりわけこの植物園では現在までに約1,600種48,000株の植物が植栽されており、施設内には温室はもちろん、展示棟にさらに屋外専用の前庭・中庭・後庭といった様々な植物が、訪れる人々に本来あるべき人と自然のあり方を説いているような、そんな心穏やかになりながらも植物の重要性を唱えている。その意図に気付く人は少ないとは思うが、忘れていた何かを思い出させてくれるのは確かだ。

液状化の影響を受けた

千葉県に位置していることもあって、海から程遠くないところにこの花の美術館は存在していたが、そんな数多くの植物を植栽しているこの植物園にある危機的状況が差し迫る。それは2011年3月、東日本を襲撃するようにして現われ、いまだ2,000人以上の行方不明者、死傷者すべてを含めると計24,000人以上の人々がその被害・犠牲となった東日本大震災だ。植物園がその被害として受けることになったのが、地震によって地下水位が向上することで砂地盤がその振動によって液体状になる『液状化現象』によって、植物達に多大な損害を受けることとなる。

このため、液状化現象により整備しなければならない問題を解消するために一時美術館は閉鎖されるようになり、全て復元するまでに至らなかったが何とかその後再度開放することは出来るようになったが、それでも半年以上の時間を費やすことになった。それも完全に修復できているわけではないため、一部閉鎖されたまま復旧作業が継続しているという有様だ。自然がもたらした被害を自然が直接被ることになった、これもまたそういう意味では人間に対しての因果応報なのかもしれない。

三陽メディア株式会社によって名づけられた

本来の名称は千葉市 花の美術館となっているが、昨年2013年に千葉県にある『三陽メディア株式会社』が施設の命名権を三年契約で取得し、自社の宣伝も兼ねた名称『三陽メディアフラワーミュージアム』という名称に変更する。企業が施設に自社名を使用して宣伝の一貫とするビジネスは近年見られることだが、この美術館もその一例として別名称を採用されることとなる。ただ個人的にはこれは液状化したことによる被害があったことで、訪れる人が減少してしまったことで、経営が圧迫されたことによるところもあるかもしれない。そういう意味では、美術館側としても、千葉市側としても、そして三陽メディア株式会社としても、双方において利益をもたらすだろうとした取引が交わされたからこそ、こうした命名権のやり取りは成果をもたらしたといえるかもしれない。

植物園としての見所は

あまり裏側を詮索していると話しに事欠かないで話題を膨らませる事はいくらでもできるが、話の軌道を修正していこう。植物園ということで当然ながら、この施設に訪れる人は皆が普段あまり接する事の無い自然を満喫しようとする人が多い。コンクリートジャングルに包まれた生活を送っている中、日常において便利なモノで満たされているのはありがたいことだ。かつてはコンビニなどというものはない時代と比べたら、人間の生活レベルは格段に進歩している。日本も経済状況こそ芳しくないものの、ライフスタイルとしての営みは世界でもトップレベルと称するだけのサービスで充実するようになった。

だがそうした中で生活していると、無性に自然が恋しくなるという人もいるのではないだろうか。不思議なモノで、普通に生活していても何かしらの植物と触れ合う事は度々ある。また煮詰まった毎日の中にいると、森林浴、もしくは綺麗なものを見て心を落ち着かせようとする人もいるだろう。自然がもたらすのは生存に必要な酸素もそうだが、どす黒くひずんだ人間社会の中でもみくちゃにされた人間の心を潤し、そして浄化するだけの力を持っている。花がもたらす色鮮やかな色彩は、普段美術と縁のない人の心に大きな感銘をもたらすこともある。まことしやかに、見て触れて、そして感じることで人間を支えてくれるという点でも、人間が自然より上位に位置している考えを持っているなどと思っていた過去が居たたまれない。

分析はさておき、この三陽メディアフラワーミュージアムにおいても、当然ながら訪れる人はここの見所を目的としているだろう。ではこの植物園においての特徴でもあり、そして魅力ともいえるのが被害を受けながらも何とか現在までに復旧することが出来た後庭にある、200種類のバラが咲き乱れているバラ園は壮観だ。植物といっても単純に品名は知っていたとしても、その種類がどれほど存在しているかという話になれば、調査すると一冊の書籍を作成するだけの材料が出てくるだろう。この植物園で植栽されているバラの種類もほんの一部で、日本という尺度ではなく世界に広げて考えたらバラだけでどれほどあるのか検討もつかない。調べてみても1,000種はあるなどといわれるが、実際の数字は分からない。植物を研究するとなったらある一定の植物だけの調査だけで、人としての生涯すべてを費やしても時間は足りないかもしれない。

もちろんその他にも日本庭園だったり、温室で栽培されている植物を見学も出来て、さらに植物に関する資料を閲覧する事が出来る場所も用意されているので、訪れてじっくりと見れば一日を十二分に活用して充実した時間が送れるだろう。近場に訪れたときには、自分の知らない植物を見て感傷に浸ってみるのも悪くはないだろう。

植物園の活動がもたらす意義とは

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